てぃーだブログ › よりとも旅日記

2012年03月11日

東北太平洋沖地震から1年にあたってお見舞い申し上げます





よりとも旅日記管理人 伊久米






▲海への平穏を祈る神事(由比ヶ浜)  
Posted by まほろば編集部 at 14:46

2011年08月15日

鶴岡八幡宮、夏の夜の来訪者




そういえば・・・

お盆の頃,姿を現す昆虫などの小生物は黄泉の国から訪れた祖先霊の化身だという話がありますね。






仏教の概念と思われがちな「お盆」ですが,実は日本古来からの概念。

真夏過ぎの宵のころに外界(根の国)から神々や精霊,そして祖先の御魂も戻ってくるという信仰が仏教伝来以前からあり,

これがお盆の元々の姿だとか。






鎌倉鶴ヶ岡のひもろぎに舞い降りるホタルも、クワガタも外界からの使者だったりして・・・  
Posted by まほろば編集部 at 12:00

2011年07月07日

鎌倉の七夕に,歴史の悲劇をたどる

7月7日,今日はいわずと知れた七夕の日。本来であれば,短冊に願い事など託して笹に飾って楽しく過ごす日ではありますが,今回は古都鎌倉にちなんだちょっとシリアスな七夕の話をお送りします。
 まあ,たまにはこんな趣向もいいでしょう。

 では,どうぞ。
----------------------------------------------------------------



▲七夕飾りを仰ぎ見て(鶴岡八幡宮 三の鳥居)

本日2011年7月7日,鎌倉は昼間は晴れ間がでることもあったようですがおおむね曇り空。鶴岡八幡宮の境内では多くの七夕飾りが,強風にあおられて大きくたなびいていたようです。

▲梶の札に飾られた舞殿

もともと7月7日の七夕祭りは旧暦で行われていました。

今のような梅雨も明けきらない時候に七夕をやるようになったのは明治5年に新暦を採用してからのこと。 

それ以前の時代には,夏も終わりに近づき秋の便りが聞かれ始める(現在の新暦でいえば8月末〜9月初に相当)時候に七夕祭りをしていたということになります。

当然ながら梅雨明け前に比べると晴天の確率も多く,旧暦でやっていた昔は天の川を拝めた確率も高かったかもしれませんね。

現在は,鶴岡八幡宮もそうであるようにほとんどの地域で新暦の7月7日前後に七夕祭りが行われています。

ところで,今の七夕の日は旧暦5月下旬に相当します。

色とりどりの七夕飾りに華やぐ鎌倉で,ほぼ今の七夕シーズンにあたる旧暦5月の下旬にかつて大きな悲劇が同じ鎌倉の地を慟哭させたことを知っている人はどれだけ居るでしょうか。

今を去ること678年前。

旧暦の1333年5月22日,長きにわたって鎌倉幕府を支配してきた北条一門は新田義貞の軍勢に追い詰められ,ついに東勝寺にて集団自決し鎌倉幕府が滅亡しました。

太平記によると,当主の北条高時をはじめ北条一族と家臣の870人もの人々が東勝寺近辺で次々に自害して果てたとあります。

奇しくも,現代の鎌倉では七夕祭りの時期と鎌倉幕府の命日が重なっているわけです。


▲宝戒寺本堂。今やこの寺は北条得宗家にとって唯一の安住の地なのかもしれません

鶴岡八幡宮の境内を後にし,少し食事をとってから,北条一族を供養する宝戒寺と腹切りやぐらへと向かいました。
 
まずは宝戒寺。八幡宮から東へ歩いて5分ほどです。
 別名「萩寺」ともよばれ,9月末には境内一杯にに白い萩の花が咲き散らしますが,今は深い緑が覆いつくしています。
 高時ら北条一門の死後2年目の1335年,彼らを弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建立させた宝戒寺は賑やかな八幡宮とは裏腹。しっとりと静寂な境内には時折,本堂の鐘が響くのみです。

ぼぉ〜〜ん〜ん〜ん〜・・・・・・・

かつて北条得宗家の屋敷があったこの地。隅々の土にまで浸み込んでいくかのようにいつまでも梵鐘の余韻が小さく長く鳴り響いていました。


▲樹叢がせり出す東勝寺の跡地前にて


宝戒寺から少し大町方面に歩き,東へと続くわき道を辿って,北条高時腹切りやぐらを目指しました。

歩くこと10分弱。滑川にかかる東勝寺橋から,谷戸の住宅街を両脇に坂を上り詰めるとまず東勝寺の跡地に着きます。

かつて多くの北条一門が自害した寺院跡には木々が生い茂っています。

火が放たれた寺院の内外では,命運尽きた人々が喉に腹に刃物を突き立てて次々に死んでいきました。太平記には,いまわの際を迎えた人々が織り成す様々な人間ドラマがまざまざと描かれています。
 そうした中に信州塩田から遠路はるばる駆けつけた北条国時・俊時の親子がいます。父子ともども東勝寺付近で自害した様子,不忠な家臣のせいで無念の最期だった様子が1章割いて描かれています。


▲傍らに腹切りやぐらがある祇園山ハイキングコース入口

太平記のこのくだり(第10巻)は自分も目を通しました。悲話として名高い平家物語にも勝るとも劣らないくらい,負けた側が辿る運命の悲惨さというかどうしようもなさがにじみ出ていると感じました。

東勝寺跡のすぐそば,山の入口(祇園山ハイキングコース)を少し登ったところに,北条高時腹切りやぐらがひっそりと口をあけています。

‘霊処浄域につき参拝以外立入禁’

677年も時が流れているとはいえ,多くの人々が絶望と恐怖にさいなまれながら死んだ場所・・・大地は血で染め上げられ,現在でも由比ガ浜の工事現場などからは人骨の破片がたくさん出てくるといいます。
 いつもは一事が万事ノウテンキな自分ですが,このときばかりはさすがに表札に書かれた文字がずっしり重くのしかかります。


▲夕暮れ時,七夕祭の神楽が優美にしめやかに催されました

午後5時になる頃,再び鶴岡八幡宮に戻ってまいりました。

舞殿では七夕祭りの奉納神楽が行われました。楽器や筆硯,糸枠などを神前に供えて,技芸の上達とお清めを祭神に祈願して舞われる神楽なのですが,幕府滅亡の翌日という日取りと鎌倉という場所柄を思えば,677年前の戦火の犠牲者をも弔い靖んじる舞いにも見えてきます。

七夕の鎌倉に息づく歴史を思えば,露のしたたる七夕祭りも残念ではなく不思議と至極理にかなっている気がするのは自分だけでしょうか。

この古都鎌倉では今を生きる人々も昔非業の死を遂げた人々もともに七夕祭りに参加しましょう。

最近流行の「環境にやさしい」だけでなく「死者にもやさしい古都鎌倉」というのも必要かもしれないと,七夕の鎌倉で先人達の足跡を辿ってみて切に感じました。

2011年7月7日 夜

  
Posted by まほろば編集部 at 21:00タナバタについて

2011年07月01日

湘南鎌倉での七夕神事

7月になり,今年も七夕の季節になりました。

7月1日から七夕まつりを始めている,鎌倉の鶴岡八幡宮では,大掛かりな七夕飾りとたくさんの梶の色紙が目を楽しませてくれます(写真は昨年以前のもの)。




●鶴岡八幡宮の七夕飾り

【平塚八幡宮の七夕祈願祭開催案内】

●平塚八幡宮,一の鳥居の七夕飾り

☆七夕飾り期間:平成23年7月1日(金)~10日(日)
☆七夕祈願祭:平成23年7月7日(木)19時催行
☆平塚七夕まつりと連動して、7月10日まで七夕飾りを行います(~19時まで)

【平塚七夕まつり2011】
☆平成23年7月8日(金)~10日(日)(~19時まで)
☆ホームページ:http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/tanabata/index.htm

【鶴岡八幡宮の七夕まつり開催案内】~今年は終了しました
☆「七夕まつり」期間:平成23年7月1日(金)~7日(木)
※この期間中,七夕飾りが見られます。
☆七夕神事 7月7日(木)17時執行(於 舞殿)
※舞殿において,祝詞奏上と巫女神楽『萬世の舞』(下写真)が奉納されます。
☆また,期間中の7月2(土),3日(日)には舞殿にて,鎌倉囃子などの催し(余興)があるそうです



●鶴岡八幡宮,七夕祭での萬世の舞


また,湘南エリアでは平塚八幡宮においても「湘南平塚七夕祭り」に合わせて,七夕祈願祭が催行されるそうです。


【七夕の歴史トリビア】
ところで,現在よく見られるような,七夕飾り&笹竹に短冊をつるして願い事をする子供中心の七夕祭りが出来上がったのは,江戸時代の後期からだといわれています。
 七夕行事自体は,わが国では奈良時代前後には行われていたことが確認されていますが,江戸時代以前の七夕祭りは現在見られるようなものとはだいぶ異なった感じのものでした。



●大宮八幡宮の乞巧奠

七夕祭りの原型されるのが,乞巧奠(きっこうでん)という行事。旧暦7月のころ,手芸などの上達を祈願して平安時代の宮中や貴族の屋敷で行われていたものだそうです。
 古式に則った乞巧奠ですが,大宮八幡宮(東京都杉並区)において再現されています。
詳しくは,「七夕の源流、乞巧奠(きっこうでん) ~武蔵大宮八幡宮より~」









  
Posted by まほろば編集部 at 22:25タナバタについて

2011年06月22日

鶴岡八幡宮,水無月の大祓式


●鶴岡八幡宮、水無月の大祓にて(2009年)


今年もまもなく,6月30日。「夏越の大祓」の日です。1年のちょうど半ばにあたるこの日,全国各地の神社において,夏越の大祓式が催行される次第です。
 そして,鎌倉の鶴岡八幡宮でも「水無月(みなづき)の大祓」が実施されます。一年の前半,日数にして180日あまりの間,知らず知らずのうちに被った罪や穢れを祓い清める神道の祭儀です。 


[鶴岡八幡宮「水無月(みなづき)の大祓」のご案内]
2011年6月30日(木)
午前11時、午後1時、3時、5時の4回


(以下、鶴岡八幡宮ホームページより)
当宮では6月30日と12月31日に大祓式を行っています。参列される方は神職と共に「大祓詞」を唱え、麻と紙を小さく切った切麻を身にまいて、半年間の罪穢を祓います。参列出来ない方は形代(かたしろ)、撫物(なでもの)、人形(ひとがた)などと呼ばれる人の形に切り抜いた紙に、氏名、年令を書き、息を吹きかけ身体を撫でたものを、大祓式当日までに当宮へお届け下さい。ご一緒にお祓い致します。
6月の大祓には「茅の輪くぐり」が行われます。


「大祓とか茅の輪くぐりってなに?」とか「大祓も茅の輪くぐりも経験したことがないけれど今年は参加してみようかな」といった方々のために、一般的な手順と作法をまとめました

「夏越の大祓 ~一般的な手順と作法~」  

from 倭(ヤマト)しうるはし  
Posted by まほろば編集部 at 12:39鎌倉観光

2011年06月11日

~震災復興祈願、鶴岡八幡宮のほたるまつり


昨年の鶴岡八幡宮ほたるまつり

鶴岡八幡宮(鎌倉市)では、本日行われる「ほたるまつり」において、震災発生3ヶ月の節目としての震災復興祈願祭を催行するそうです。

(鶴岡八幡宮、ほたるまつり実施要綱)
●ほたる放生:2011年6月11日、19時からの祭典のあと、神池に蛍を放流
●東日本大震災復興祈願祭:2011年6月11日、18時30分~(於 舞殿)
●ほたる鑑賞:2011年6月11日(土)~6月19日(日)の日没時~21時
※なお、11日と12日は会員限定の鑑賞。一般参拝客のほたる鑑賞は6月13日以降です。




【平成二十三年東北地方太平洋沖地震復興祈願祭祝詞】
神社本庁作成

『掛けまくも 畏き大倭(おほやまと)の天津神・国津神の大前に 恐み恐みも白さく 去し三月十一日の未刻に起きし 東北地方太平洋沖地震更には 大津波の災害を蒙りたるに あまたの都道県に 大なる損ひを齎したり 各々も市町村の有様は 家は壊れ海は荒れ 土は裂け山は崩れ 許許多久の人々 瞬間に玉の緒を絶たれる事と成りぬ 又神社神職等も 多数に災害を被れる由 知らせを受けたるは 実に畏き極み成り 故今し大前に 御食御酒種種の味物を献奉り 常に大神等の 高き尊き大神徳を仰奉る 氏子崇敬者等大前に参集ひて 復興祈願祭を仕奉り 乞ひ祈奉る状を 平らけく安らけく 聞食し給ひて 日々起れる余震津波を 鎮め給ひて 一日も速けく 旧の状に立帰らしめ給ひて 我がヤマトの国を 永久に守り 恵み幸へ給ひ災害に苦しむ諸人等の 身も心も平穏に守り導き給へと 恐み恐みも白す』

  
Posted by まほろば編集部 at 14:46鎌倉観光

2011年04月07日

震災からの復興を祈念して


東北地方太平洋沖地震で


犠牲になられた方々に


謹んで、弔意を表します。


未曾有の大震災は、確かに


甚大な被害を多方面にもたらし、


容易ならざる状況を招いています。それでも、被災地の傷が少しでも癒えること、復興への尽力が結実し、確かな前進へとつながってゆくことを、日本人のひとりとして祈念いたします。

今も避難生活を送られている方々にお見舞い申し上げます。
(御眞木 まほろば旅日記副編集長)



写真「くれない染みて」を元に描いたイラストはこちら  


【鎌倉震災復興祈願祭】
・日時、4月11日(月) 午後2時半から

・場所、鶴岡八幡宮舞殿

・当日は鶴岡八幡宮の神職さんのほか、鎌倉市内の仏寺やキリスト教会も参加する神道、仏教、キリスト教が宗教の枠を越えて、古都鎌倉から震災の復興を祈願します。

  
Posted by まほろば編集部 at 23:15頼朝旅日記

2010年10月21日

源頼朝公ってどんな人?

・・・ってことで,ここでは頼朝さんについて,
いろいろ書いていきたいと思っています。


鎌倉,源氏山の頼朝公銅像(11月ごろ)

源頼朝さんといえば,すぐ思い当たることは
・鎌倉幕府を開いた人
・武家政治を始めた人
・今ある鶴岡八幡宮を建てた人
・今や,大仏様とともに古都鎌倉のマスコット

とまあ,そんなところじゃないでしょうか。

日本史の教科書でも,天武天皇・徳川家康・明治天皇などと並んで,
否,たぶん日本史上で最も有名,存在感のある人
・・・といっても過言じゃないはず。

たぶん頼朝さんがいなかったら,今の鎌倉はなかったはず

 今,京都と並ぶ観光都市,鎌倉のステータスどころか,
平安時代末期以降の日本の歴史も大きく変わっていたかも・・・

ということで,源頼朝公についていろいろなことに焦点を当てて生きたいと思います。

KI


  
タグ :源頼朝
Posted by まほろば編集部 at 21:34Comments(1)頼朝旅日記